引きこもり

心療内科で受診をし「自律神経失調症」と診断されました。

毎日、きちんと薬を飲み数日間は とても調子が良かった私。

娘の血糖値管理も前向きに考えられるようになっていました。

しかし、ある日突然 私は布団から出られなくなったのです。体は鉛のように重く、やる気も出ない。気力もない。

主人と私は同じ会社。

私は布団の中から「◯◯くん、◯◯係長に仕事休むって言っといて」と蚊の鳴くような声で伝えました。

今、考えてみれば いい歳こいた大人が 仕事を休む事を人任せに「言っといて」なんて非常識すぎますが、この頃の私は 非常識だろうが誰かに迷惑かけようが周りからの目も人の気持ちも全く考えられない程に追い詰められていました。

 

案の定、上司からLINE。

「俺はお前から休むと聞いていない。」

そりゃそうだ。。。

「すみません。今日は体がキツイので休ませて下さい」と返し、その日は勘弁してもらいました。

 

きっと外は青空。空気もキレイだったに違いない。

でも私は その日から天気すら分からない程に

カーテンすら開けず布団に包まったままTVも

付ける事ない日々を送るのでした。

 

来る日も来る日も仕事には行けない。

それでも上司は何も否定的な言葉は言いませんでした。

時々 入ってくる上司からのLINE。

「仕事は来た方がいいぞ。」

そんなLINEが何度も入ってきました。

 

引きこもりの生活を続けていると、心配した上司は仕事が終わった後、わざわざ家まで来てくれました。

後で知った事ですが、この頃 主人も毎日のように私の事を この上司に相談をしていたようでした。

 

これから どう仕事をして行くか。

を話し合いました。

上司は「仕事には来た方がいいぞ。」と…

こんな休み方をしているのに見放さない心の広さに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

心身共にズタボロで仕事も休む始末。

他人のことなど考えられない日々の中で、久しぶりに人の気持ちが有難いと思えました。

 

仕事は無理しない程度でいい。

夜は基本的には残らなくていい。

お前、仕事来んなったら本当にダメになるぞ。

 

久しぶりに信頼する上司と話し、私は心が救われました。

翌日から仕事も なんとか行けるようになり

このまま 私は元気になる!もう大丈夫!だと思っていました。しかし…

調子がいい期間。調子が悪い期間。期間はまちまちでしたが、良い悪いが交互に訪れるようになりました。

私という人間は2人いるんじゃないか。と自分でも思うくらいの人の変わりよう。

テンション高くニコニコと調子の良い言葉を並べる日々。

かと思えば、死にたい。もう嫌。キツイ。

とマイナスな言葉ばかり並べる日々。そして すぐ怒る。特に主人に嫌な事を言う。

 

正直、今振り返ってみると この頃 娘の血糖値管理をどのように自分がしていたのか思い出せない。

この頃、自分が血糖値管理をしていたのかすら

定かではない。

思い出せるのは 自分がカーテンを閉め切った部屋で布団に包まっていた事。

主人に八つ当たりをして嫌な言葉を沢山浴びせていたこと。

息子と娘の記憶が全くないのです。

そして仕事に行き どのように働いていたかも

全く思い出せません。

きっと、自分の事しか考えていなかったのでしょう。。。

 

生きたい。死にたい。消えたい。生きたい…

日によって変わる気持ち。

頑張ろう‼︎もう無理。頑張れない。頑張ろう!

心が全く定まらなかった日々。

 

これまで食欲のなかった私でしたが、少しずつ

過食になっていくのでした。

ヒマさえあれば食べる。

さっき食べたのに また食べる。

コンビニで食べたい物を食べたいだけ買い、駐車場に停めている車内で食べる。

 

そして また次のコンビニへ寄り また買う。

また食べる。。。

夜ご飯は 白飯2杯3杯…

 

振り返ると恐ろしい程の食欲。

当時の私は、こうして無心で食べることで

嫌な事を考える時間を減らしていました。

食べてる時と寝てる時だけは嫌な事を忘れられる。

 

今 思い返しても当時、自分が食べてる姿を想像すると怖く感じます。

当時の私にそのまま食べ続けると それによって自己嫌悪に陥ったり、人から笑われて傷ついて自分に自信なくすよ。と言ってやりたい。

 

娘の病気1型糖尿病は 私そのものを狂わしていき続けたのでした。

当時の私は、1型糖尿病の子を持つ母親としての

強さも覚悟も持ち合わせていませんでした。

これを持ち合わすまでに どれくらいの時がたっただろう。。。f:id:guchegucheyukari:20201022221034j:image